5年前の戦火を生き残り、千尋の掲げた軍旗に集った中つ国の民の一人に彼女がいた。頬は痩せ、砂にまみれ、疲労を滲ませた目をした彼女はありふれた離散民だった。栄養失調の見て取れる身体を休めると、すぐに他の女たちに混じり炊事・洗濯・子守といった仕事を手伝い軍に馴染んでいった。実直に働き、他人を厭うこともなく、笑顔を浮かべ同胞を励ます彼女はいたいけで、彼女を慕う者は多かった。

(ご苦労なことで)

那岐はそんな彼女をいささか皮肉に見ていた。

「出来すぎ」

今も、彼女は洗い桶を洗濯物で一杯にして一枚一枚を洗濯紐に干していた。しゃがんでは洗濯を干し文句ひとつ言わず作業を続けていく姿は立派なもので、彼女が優等な振る舞いを見せる度に那岐は斜めから彼女を見た。那岐が物思いに耽る間も、彼女は洗濯物を伸ばす乾いた音を響かせる。

(あっ)

那岐は慌てて目を逸らした。ぼんやりと彼女を眺めていたせいで、彼女が那岐の視線に気づいたことに気づくことが遅れ、二人の目が合った。那岐を見上げた目は硝子玉のようだった。那岐は露骨に顔を背け、誤魔化すことが出来なかった。

(まずい)

無遠慮な視線に晒されて怒らないはずはない。怒らないまでも何か一言ぐらいはあるだろう。一瞬で面倒だなと身構えた那岐だったが、意外にも彼女は那岐を確かめただけで何も言わず再び洗濯を干し始めた。その背中からは何も読み取れない。那岐は間が悪く早々にその場を離れた。心臓が嫌な風に脈打っていた。人気のないところまで逃げてから、深いため息をついた。

「何であそこで気づくわけ」

悪態をついた。一方的に斜に構えている分だけ、何かを見透かされたような不快さと後ろめたさを感じるのは単なる被害妄想だ。那岐は深呼吸をして気持ちを落ち着けようとしたが、初めて正面から見た彼女の残像が頭にちらついてそれも上手くできない。目に焼きついたのは硝子玉の目。そこには何の表情も浮かんでいなかった。無防備なはずのその表情が、那岐には何故か怖く感じられた。

「最悪」

舌打ちをした。取り乱した自分が情けなかった。

20090118