雨は糸のように真っ直ぐに落ちてきた。春先のそれは温く纏わり付き、ひたすらに那岐の視界を遮った。音も立てずに地面に染み込む様はまさに恵の雨。だが宿営地を離れ一人散歩をしていた那岐にとっては災難に他ならない。彷徨う藪の先に村を見つけると、那岐は迷うことなくその村の軒下へ身を置くことを決めた。村民はそれぞれの家で雨が上がるのを待っているのだろう。雨に打たれる者はない。好奇心と警戒の目に晒されることなく雨宿りが出来ることに那岐は運のよさを感じた。足を泥で汚しながら村の入り口に一番近い藁葺きの家の軒下に滑り込もうとすると、予想外にもそこには先客がいた。那岐の足は動揺で止まった。

「お入りください那岐様」

よく通る声。彼女がいた。こちらは千尋のお守、あちらは軍の下支え。接触する気がなければ彼女との接点など生まれようもないと高を括っていた那岐は、咄嗟にどう返せばよいのか分からずに立ち尽くした。その間も雨は那岐の身体を滑る。

「風邪を召されますよ」

髪から雫の落ちる那岐のために彼女は布を差し出した。那岐は促されるがままに彼女が空けた場所に身を寄せ、布を受け取った。彼女は実や菜を詰めた籠を足元に置いていた。食料調達の途中だったのだろう。雨はしばらく止みそうになかった。二人は口を噤んだまま空を見上げた。

「那岐様」
「何、様って」

那岐はぶっきら棒に言った。

「二の姫様のお側の方ですから」
「那岐でいいよ。敬語もいらない」

彼女は笑った。空に稲光が走る。遠くで雷の音がした。

「春雷ね。春だわ」

冬は眠り。春は目覚め。覚ますは轟音。雨は芽を育て、花の季節を誘う。軒下の外では飽くことなく繰り返される四季の営み。雨を避ける二人は営みの輪に取り残されたように佇んだ。

「散歩していたの」
「騒々しいのは苦手なんだ」
「ニの姫様が探しておられたわ」
「千尋はいつもそうなんだ」
「探してくれる人は大切にしないと」
「説教」
「敢えて言うなら老婆心」
「幾つも変わらない癖に」

会話の断片には大切なものが含まれている気がしたが那岐は何も言わなかった。彼女は雨に揺れる雪割草を見つめていた。

「何で何も言わなかったの」
「構って欲しかったの」

からかいがてらにさらりとかわす笑顔。子供扱いのそれに、しかし那岐は不思議と腹が立たなかった。その頼りない感覚を確かめようと彼女の顔を覗きこむと硝子玉の目が那岐を見つめ返した。既視感。那岐は呼吸を忘れた。何も映さないのではない。何も見ていないのだ。

「興味ないんだ」

那岐の唇からこぼれ落ちた言葉は雨に掻き消えた。彼女は聞こえたのか聞こえなかったのか沈黙を守る。どちらでもよかった。彼女が何も語りたくないならその方が那岐も面倒がなくてよかった。何にせよわざわざ本質を指摘して偉そうに講釈を垂れるのは那岐の趣味ではない。

「止まないわね、雨」

彼女が三文芝居を続けるなら那岐は適当にそれに合わせればいいだけのことだった。


200090218




































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