空の高い秋晴れの日。 は喜多に会うため登城していた。 姉のように慕う喜多はにとって拠り所であり、他愛もない話をしては心地よい時間を過ごしていた。 最早嫁ぐこともないと覚悟しているにとっては、嫁がずとも凛として矜持を保っている喜多は絶好のお手本だった。

側でその心内に触れることは流れ行く時間への準備に等しく、は流れるままに日々を過ごしていた。 喜多は何も言わないが、そんなをひどく気にしてくれていることをはよく知っていた。 ありがたいことだった。けれど、どうにかしようとは思えなかった。

城への坂を上がりきると、門はが申し立てる前に既に開いていた。 どうしたのかと思っていると、鷹狩りにでも出掛けられるのだろうか。 ごく軽装で、小十郎や成実様を連れた政宗様が馬を引きながら歩いて来た。 は慌てて籠から降りる。 政宗様は、籠から降りた女を認めるとにやりと笑った。 の背筋はぞくりとする。 蛇に睨まれた蛙とはよく言ったものだ。

「お久しゅうございます政宗様」

は出来うる限りの笑顔を浮かべて、出来るうる限りの美しく背筋を曲げた。 政宗様はそれを値踏みする。 上手くできただろうか。 当代一流の眼識を持つ政宗様に誤魔化しは通用しない。

「お前まだ嫁の貰い手がないらしいな」

開口一番政宗は不躾に言った。 行儀については何もおっしゃらないということはまずは合格点のようだ。 は気づかれぬようほっと息をついた。

「わたくしの心配より、政宗様こそお遊びを控えられてはかがですか?」

若い殿には無理な話だろうが、喜多が最近しきりに心配しているのは政宗の素行だ。 愛姫様との睦まじいお仲は幾度となく目にする機会があったので心配はしていないのだが、 居室で大人しく過ごすことが最近は少ないらしい。

「行かず後家にでもなる気か?」

まるでの話を聞かずに政宗は薄く笑った。 この方にお優しいお言葉を掛けて頂いた覚えがには少しもなかった。

「ご縁がなかったのでしょう」

はため息まじりに苦笑してみせた。 怒ってみせても政宗を喜ばせるだけだということを、の骨身にはもうすっかりと染みていた。

今ここで二人が向き合うまでに、いくつもの四季が過ぎていた。 その間に政宗様は元服を果たし、初陣を済まし、伊達家を継ぎ、 正室を迎え、今や奥州の覇権を手中に収めつつあった。

もその間に裳着を済ませ、女性としての嗜みを身につけ、けれど結婚はせずに十九となった。 何度かあった縁談も纏まりかけては立ち消えとなり、は適齢期を過ぎつつあったが、それも縁がなかったのだろうと受け流し静かに日々を過ぎていた。

の家は既に弟が継いでいることもあってか、の父は今のところはに関しては静観してくれていた。 その静観もが結婚することに気乗りしていないことを知っていて好きにさせてくれているということが正しい。 ありがたい。けれど、どういう形であれ、いい加減に進退を決めなければならないとは思っていた。

「しかしは奇麗になったなあ」

と険悪な空気に気づいてか気づかずか、政宗様の後の成実様が破顔して言った。 成実様も、まだ時宗丸様と呼ばれていた頃から知っているお方で久方ぶりの再会には嬉しくなった。

「まだ嫁には行ってないんだよな?どうだ、俺のところに来ないか?」

その笑顔にのを固まった心はほぐれていく。 政宗と違って人当たりよく大らかな成実がは好きだった。 いや、政宗様も以外にはお優しい。

「わたくしなど、もうとうが立っておりますよ」

軋む胸を無視しながら、くすくすとは笑う。

「まあお前は餓鬼の頃から可愛かったけどよ、奇麗になったぜ」

何の衒いもなく言う成実に、さすがにも頬を赤くした。
「わたし」と、可愛らしく無邪気に笑っていた少女が明るさの中に一点の影を潜ませたとき、 彼女は「わたくし」と言う大人の女性になっていた。 それは固い蕾が花開いていく過程によく似て、それはそれは美しかった。

政宗はそんな二人のやり取りを見ながら、密かに喉を鳴らして笑った。 小十郎はそんな主君に眼を伏せた。 それからいくらか言葉を交わした後、は丁寧に挨拶をして門を潜った。 政宗達も騎馬し、狩場へ馬を走らせる。

「しかし本当には会う度に奇麗になってるな。いいのか藤次郎、側室に迎えないのか?」

馬の鼻先を並べた成実が政宗をからかう。

「お前が欲しいんじゃなかったのか?」

政宗は意地悪く笑って受け流した。 いつもならここで、とても家臣たちには聞かせられない冗談の応酬となるだが、成実はいつになく真剣だった。 主と家臣というよりも兄と弟のように二人は気安い。 お家の関わらないことで、対等の立場からはっきりと政宗に意見出来るのは成実の他にはいなかった。

「お前、どうしてにだけあんなに厳しいんだ?」

案じながらも、小十郎には問えないことを成実は言った。 早駆けで風を切るせいで、政宗の横顔は流れる髪によって窺えない。

飛び去っていく風景を見送りながら、成実は物思う。 どうしてか政宗の毒は、か弱いたった一人の少女にばかり向かう。

政宗は昔から難しい子供ではあったが、今では堂々と歴戦の家臣たちに物を言い、従わせるだけの力量を身につけている。 一足飛びに大人になった政宗が、にだけはいつまでも子供染みた執着を続けている。

「あれをあそこまで美しくしたのはこの俺だ」

意味の通らないことを言って政宗はにやりと笑う。 あの毒の裏に、ままならない感情が隠れていると願うのは勝手な願望だろうか。

「あれは俺に惚れてるからな」

抑揚のない声が何を思っているのか、成実には推し量ることしかできなかった。