梵天丸様だった頃の政宗様は、内向的で覇気がなく到底伊達家の跡取りとしての資質に欠けると専らの評判であった。 実際に身の回りの近臣以外には会うことすら嫌がり、人を嫌っておられた。 片目を失い、伊達家の筆頭としての資質を問われても肩を落として絶望するには梵天丸様は聡すぎた。 それまでの梵天丸様は目の前に広がるすべてのものを真っ直ぐに見つめられながらも、諦観しておられた。 欲しいものを欲しいと言うことを知らないお方だった。 そして九つの御年の頃この小十郎にお命じになられて右の御目を切り捨てられると、ふっきれたように学問に武芸にと励まれるようになった。 それはまるで無くされたものを取り戻そうとしておられるかのごとく鬼気迫るご様子で、 その苛烈なご気性にますます伊達家を継ぐお方はこの方の他には考えられないと改めて感服した。 復讐と言っても差し支えない危うさを感じながらも。 そして同じ頃、学問・武芸以上に熱中され始めたのが「美しい」ものへの執着であった。 政宗様が「美しい」ものを特に愛で始められたのも右の御目を切り落とされてからのことだ。 茶道、書、歌、能とありとあらゆる芸事に勤しまれ、悉く伊達家の文人としての血を発揮された。 それらは武人、大名としての嗜みという範疇を越えて、風流人というには重すぎる絡むような執念の稽古。 美術品の収集にも並々ならない力を入れられた。 その癖身の回りに集めさせた美術品たちを愛でる目の奥はいつも冷たく、ご正室、ご側室ともに殊更美しい女性たちを迎えられた。 「醜い」と疎まれてきた政宗様の屈折した執着のようで、今更ながらにこの方が失ったものの大きさを知った。 一層この方のお側に控えなければと、守役でしかない自分に出来ることを胸に刻んだ。 いつかこの方に渦巻くすべてのものを知ってなお、抱きしめられる腕の持ち主が現れればいいと思わずにはいられなかった。 賢く諦観の方法を知るこの方が、どうしたって諦められない人が現れればいいと、それが幸せなのかどうか分からずに、小十郎は願っていた。 |