杞憂の幸い



祝言の挨拶に小十郎が女を連れてやって来た。 戦と政務に追われ、再三嫁を娶るよう言っても興味を欠片も見せなかった小十郎が結婚したとなると、これはどうせ政略結婚かと政宗は憮然としていた。 政宗とて「結婚」が重要な政治取引であることは重々に承知していることである。

しかし、政宗のことと伊達家のことだけに専心する小十郎は、政宗には苦い。 どうせまた伊達家のために結婚したんだろうと、忠臣の鑑であるはずの小十郎に苛立った。

進行する儀式の中、政宗は八つ当たりに女を値踏みするがこれが中々に美しい面差しをしていた。 しかし小十郎が顔だけで女を選ぶ男ではないことを知る政宗はため息をつく。 いっそ、そんな単純な男なら簡単でよかったのだが。

だがそういう男ではないから自分は頼りにしているわけで。 ああっ、この堅物が!

と政宗は顔だけは真面目に頭では埒のないことを延々と考えていた。 小十郎の説教の途中に意識を他に飛ばしていると、いくら表情を取り繕っていてもすぐに「政宗様!」の一喝で見破られるのだが、 今日ばかりはさすがの小十郎も神妙に家老の言葉を聞いている。 その大人しさにまた腹が立つ。

小十郎が決まりきった口上を述べ、女が頭を下げ、会は無礼講の祝宴へと続く。 政宗は苛々としながら、これは仙台の酒蔵を空にするまで飲まなきゃやってられねえとふて腐れていると、 食事の用意の間の雑音と慌しさに紛れて緊張していただろう女に何事か小十郎が囁いていた。

恐らく「政宗様はお優しい方だ」とか安心させているのだろう。 相当に緊張していたであろ女はその小十郎の囁きに固くしていた表情を柔らかくし、何か囁き返している。

小十郎が他人の機微に敏く気遣いの出来る男だということは政宗も百も承知のことだからそのことにさほど驚きはしないが、 女が囁き返して安心したように微笑んだ顔を見て、小十郎もまた愛おしむよう笑ったことに政宗は瞠目した。

あの笑顔は自分がまだ梵天丸と呼ばれていた頃には頻繁に見せていたが、「政宗」と名を変えてからはとんと見かけなくなった懐かしい表情だ。

政宗は人知れず笑った。

「はっ、心配することなかったじゃねえか」

誰も聞いてはいない政宗の独り言。 そうだ、お前も幸せになれ。

胸中でそう一人ごちて、今度説教垂れたときの反撃の材料にしてやるかなとくつくつと笑った。 あの堅物は一体どんな表情をするだろう。

※伊達さんが「嫁見せろ」と駄々こねたに違いない。

(2007/7/24)