■春が泣いた■(影宮閃)


「雪溶け水って、春の涙だって知ってた?」
「また謎かけか?」

閃は草を抜いて池に投げる。 頭上には満開の桜。 桜は風に吹かれるたびに惜しげもなく花弁を水面に落とす。

「花弁も春が泣いてるから散るのよ」
「じゃあこの桜は号泣だな」


花吹雪は舞い上がって空へ空へと飛んで行く。 高く高く飛んだあとはひらひらと踊るように、池に草に閃の隣に立つ彼女の肩にと舞い降りる。 花弁は薄く、陽射しが透ける。光を含んだ薄紅は温かい色だ。 閃は彼女に問いかける。

「雪はどうなんだ。あれも冬が泣いているのか」
「冬は泣かないわ」
「じゃあ秋は?紅葉だって散るだろう」
「秋も泣かないわ」


彼女は閃の隣にしゃがんで池に浮かぶ花弁を一枚拾った。

「泣くのは春だけよ」

花弁を掌に乗せると、彼女はふっと息を吹きかけてもう一度花弁を宙に放つ。 けれど悲しいかな。 池の水を吸った花弁は軽やかに宙を舞うことなく真っ直ぐに池に落ちた。

「だって、涙の流れる頬は温かいでしょう」

彼女は閃の目を覗き込みながら淡く笑った。 温かくないと、涙は流れないと彼女は言った。

「悲しい涙は冷たいぜ」

閃は立ち上がって樹を見上げた。 立派な枝振りだ。 きっと何百年と、ここで季節を過ごしてきたに違いない。 今日は快晴だ。 春の光は抱き締めるように、ここにいる二人の身体も心も温めてくれる。 彼女自身がとっくに冷えてしまっていても温めてくれる。

「だから、お前も無理して笑うな。温かい振りなんかしなくていい」


ざっと、風が鳴く。 花弁は狂ったように散る。 彼女は顔を伏せて堪えきれない嗚咽と共に泣いた。

「春の葬式なんて、洒落にもならねえよ」

泣かない閃はそう吐き捨てて、悲しみの似合わない季節に添えた。

※いちろー君に嵌められた後の話を季節捏造で。

(アイ・レット・ユー)

配布元:キンモクセイが泣いた夜